ドクター・フィールグッド&ウィルコ・ジョンソン ファン・サイト by BEAT-NET
DR. FEELGOOD & WILKO JOHNSON FAN SITE

ホーム > STORY > 早分かりストーリー2:ウィルコ・ジョンソン時代

早分かりストーリー2:ウィルコ・ジョンソン時代

DR FEELGOOD & WILKO JOHNSON FAN SITE

ドクター・フィールグッド人気沸騰!

衝撃的なアルバム『 DOWN BY THE JETTY 』発売直前、
チリ・ウィリ&ザ・レッド・ホット・ペッパーズの
マネージャーをしていたアンドリュー・ジェイクマンが、
パブ・ロック・バンドを集めて、パブや小さなホールをまわるツアーを企画。

ノーティー・リズムズ・ツアーと名づけられたそれに参加したバンドは、
チリ・ウィリに加えて、ココモというファンキーなバンド。
そしてドクター・フィールグッド。

1975年1月にはじまったツアーは
あまりにもカッコいーサウンドとぶっ飛びステージのライヴで
ドクター・フィールグッドに話題が集中。
その人気は一気にイギリス中に加速していったそうな。

MALPRACTICE / DR FEELGOOD
1975年にセカンド『 不正療法(MALPRACTICE)』を発売。
チャートでもそこそこの好成績を残し
ドクター・フィールグッドは快進撃を続ける。

この頃アンドリュー・ジェイクマンはジェイク・リヴィエラと改名し、
リー・ブリローの資金援助を得て、
1976年8月にデイヴ・ロビンソンとスティッフ・レーベルをスタートさせている。

STUPIDITY / DR FEELGOOD
人気加速中のドクター・フィールグッドの極めつけは、な、な、なんと、
1976年に発売された3枚目のアルバムで本領発揮のライヴ盤『 殺人病棟 (STUPIDITY) 』。
これが全英でナンバー・ワンとなっちゃったから、さぁビックリ。

このままスーパー・スターへの道へまっしぐら!
・・・となるかと思いきや、
ドクター・フィールグッドに次々と事件が起こるのである。

トラブル・メーカー、ウィルコ・ジョンソン

ナンバー・ワンになるってことは、大変なことなんでしょう。
凡人であるおいらには、
そのことからくる不安の大きさは想像つかないけれど、
ものすごいプレッシャーがドクター・フィールグッドのメンバーにおそいかかったのだ。

フィールグッズのメンバーは、アルコールが手放せなくなっていて、
(朝から晩まで、飲んでたのだとか。)
特にソングライターでもあるギターのウイルコ・ジョンソンは、
ツアー、ツアー、ツアーの毎日に加えて、ファンに追いかけられ、
さらには次なるヒット曲作り、そしてアルバム作りと、
次から次へとプレッシャーが迫ってくる。

ステージでは、あんなに威圧的なプレイだけれど、
ホントはホントはとっても繊細なウイルコ・ジョンソン。
他のメンバーに比べて酒を飲まないせいもあって、
次第に孤立してしまっていた。

加えて不安をごまかすためのド○ッグも加わり、
バンドはウィルコ対他メンバー(マネージャー含む)といった関係となっていく。

そんな中、ついにウィルコがハジケてしまった!
満員のライヴでの最中、ラリパッパだったウィルコは突然プレイを止め楽屋に戻る。
その後、ステージに呼び戻されたものの、
終いにはステージでぶったおれちゃう始末。
いわゆるハマースミス・オデオン事件である。

そんな不安定なバンド状態でも人気モノのドクター・フィールグッドは、
アメリカにも進出すべくUSツアーを開始、
さらに次なるアルバム『 SNEAKIN' SUSPICION 』の制作を始めるが、
そこでもトラブル・メーカーはウィルコ・ジョンソン。

プレッシャーからかオリジナル曲が足りなくカバー曲として選ばれた
ルー・ルイスの《 Luckey Seven 》が気に入らないらしい。
なにが悪かったのかはわかないけれど、
「この曲をアルバムに入れるなら辞める」とか言ってたとか・・・
いわゆるラッキー・セヴン事件である。

愛妻アイリーンをテーマにした自作曲《 Paradise 》に、
誰も反応してくれなかった不満もあったかもしれない。

ウィルコ・ジョンソン解雇

そしてついに、《 SNEAKIN' SUSPICION 》発売前に、
問題児ウィルコ・ジョンソンはドクター・フィールグッドをクビとなってしまう。

バンドのキーマンであるウィルコを解雇するという決断には、
メンバーには、相当なものがあっただろうが、
それほどまでに酷い状況だったという事でしょう。

※ウィルコは脱退したという見方もあるようですが、
おいらは脱退と解雇の両面があると思ってます。
ウィルコは次第にメンバーと行動を共にすることが減って距離を置くようになり、
キモであるライヴでも不安定な行動が目立ち始め
活動を継続していくうえで支障をきたすと判断されたことから、
バンド側から解雇されたのではないかと思っています。

SNEAKIN' SUSPICION / DR FEELGOOD
パンク真っ只中の1977年5月に
そんな状態の中でのアルバム『 SNEAKIN' SUSPICION 』が発売されたが、
当然といえば、当然の結果、前3作のような勢いが無くなってしまった。

いちおうフォローしておけば、
そのような状況で作られたウィルコのオリジナル曲は、それほど悪くない。

でも、やっぱりアルバムのサウンドにはキレが感じられないし、
アメリカ人プロデューサー、バート・ドゥ・コトゥーとの相性もイマイチ。
バンドの目指す方向性との噛み合いが悪いのだ。

アルバムが発売された後、
一時的なギターリストとして元グリース・バンドのヘンリー・マカロックを加えて、
残るツアーを消化。

しかしドクター・フィールグッドのシンプルなビートに大きく影響を受けたパンクロックが台頭、
パブロックからアッという間に話題をさらっていった。

それでもフィールグッズはオーディションにより、
後任ギターリストとしてジッピー・メイヨを選択する。

一方のウィルコは、ソリッド・センダースなるバンドで、
打倒ドクター・フィールグッドとして活動することになるが・・・


続きを読む

Copyright © BEAT-NET. All rights reserved.
BEAT-NET HOMEPAGE